山本定次郎の伝え49
信心する人は神様に参るばかりではない。銭ももらわずお礼も言うてもらわず、至急な時に格別の親切を尽くし、急難にかかりておる人を助ける時に早く行きてやり、火事の場合にも早く行きて、火を消す働きを早く潔くすれば、真の信心親切となる。何事にも心がけておりなさい。
先日、熊本地震7年目の追悼行事のお手伝いに熊本まで行って来ました。この中にも、支援して下さっている方が多くいらっしゃいますが、私は教内の有志でつくられた「ひかりプロジェクト」というグループで、自然災害の被災地での活動や防災教育などを行っています。
大きな自然災害が発生すると、どなたも心を痛めます。何とか手助けをしたいと思います。これまで、東日本大震災後の気仙沼や台風被害に遭った房総、北関東での大雨洪水被害、そして熊本地震被災地へと出かけましたが、現地に行ってただ黙って、復旧の作業を手伝うというのもありますが、私は作業の合間に出来るだけ手伝いに来られたボランティアとお話をするようにしています。なぜボランティアに来ているのかそこを聞かしてもらうことで、人を助けたいと思う人間の素直な気持ちを理解できると思うからです。
今回熊本でも、群馬から来ているボランティアの青年、と言っても30代後半ですが、その方と話しました。この人とは毎年会っていますが、彼は地震発生当時、熊本に仕事で長期出張で来ていました。地震後、何か自分で出来る手助けをしたいという思いにかられて、会社を辞め、コンビニでアルバイトをしながら、地震で一番被害の大きかった益城町の木山仮設団地の避難所で3年ほど、支援活動をしてきました。その後、出身地の群馬に帰っても、毎年この時期、益城町にやってきます。この人に信心があるかどうか聞いたことはありませんが、信心親切そのものだと毎年感じています。
すごいなと思いますが、自分ができることは人によって違います。無理をしても神様は喜ばれないでしょう。かといって、自分の事や家族の幸せだけを願っていては、ここにある信心親切とは言えません。自分ができる人助けをする。それが信心親切だと思います。
(4月29日 藤原眞久)