金光教のご祈念、お届けの基本は「お礼」「お詫び」「お願い」 と言われています。私も金光教の学院時代、 四代金光様に御取次頂き、お願いをしたところ、「 先ずはお礼でしょ」と叱られ、身の縮む思いをいたしました。 お届けの基本は「お願い一度にお礼十度」と言われます。 ご祈念では言えてもお届けの時、この「お礼」「お詫び」 がなかなか言えません。多くの皆さんは、お結界ではすぐに「 お願い」となります。
教祖様は、「 九死に一生のお願いでどうでもおかげをいただこうと、 一心になっている時のように、お礼が本気で言えたらよい。 願うことはすぐにできても、お礼はなかなか言えない。 お願い一度にお礼十度というように、 お礼を言う心が厚いほど信心が厚い。 信心が厚いほどおかげが厚い」と仰せになっておられます。
また教祖様の直信·大阪教会初代白神新一郎先生は、 ご遺文の御道案内で「諸人いずれの神仏様へ参詣いたしても、 先祖より続きて、度ごとに願かけのみして御礼届ということせず。 たとえば神仏様へ借銭に相なりおる道理にて、これ、ご無礼、 罪科と相なりおるとの、のたまい。諸人ご拝奉りても、まず、 このお断りを申し奉り、朝は前夜無事の御礼申しあげ奉るべし」 ーと御礼の大切さを説かれておられます。
もう一度、 このご祈念またお取次を頂く時の基本に立ち返ってお取次を頂き、 「教会参拝でおかげを頂く信心」のけいこをさせて頂きましょう!