今日は「喜びを探す」というテーマですこしお話をさせていただきます。まずお手元にお配りしました「御礼の言葉」という資料は、私が何十年か前に神明教会の記念祭にお参りした時にいただいたもので、神棚の前に据えて常に目につくようにしております。ひととおり読んでみます……
これらはいずれも普段何も体に異常のないときは、私たちはほとんど意識もせず過ごしておりますが、このどれか一つでも支障ができますと、大変な不自由を感じ、それこそ命にかかわるような事態にもなります。私は若い時、眼病に苦しみ、2年前には心筋梗塞という深刻な体の異常も経験し、普通に支障なく過ごせていることがどれほど嬉しいことか、ありがたいことか身をもって知らされました。私たちは物事がうまく運ばないことや、人間関係など、日常いろんな困難に出会い悩みますが、この「御礼の言葉」にあることが満足にでき、自立した生活ができれば、他のことはどうでもよいくらいのものであります。
なにか困難に当たって落ち込んだ時は、この「御礼の言葉」をみて、不自由なく過ごせている自分、幸せな自分を再発見して、その喜びを土台にして問題に取り組めば、そこから道が開けてくるものと信じます。
“喜び”は私たちの信心のバロメーターだと思います。「真にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり(教典 P774)」、「八寸のものを一尺にも喜ぶものには、足りぬだけは神が足してやる(金光四神様)」、「喜びに喜ぶ心見そなわし、導き給う金光の神(近藤藤守師)」とのみ教えもあります。この「御礼の言葉」を常に目につくところに貼って、喜び探しに活用されることをお勧めいたします。
(6月10日 川治喜市)