私のこれまでの信心は、心配する心の不安を何とかしたいが為の信心だった様に思う。
金光教の本並びに心理学の本も色々とむさぼり読んだが、これで助かると思った御教えは『人間であるあるから、生きている間は先々のことも考えもしようし、心配の尽きる時はあるまいが、それがみなおかげになれば、心配はあるまい。
心配は、信心すればみなおかげになる。心配は体に毒、神に無礼である。心配する心を神に預けて、信心する心になれよ。
おかげになる(天地は語る245)』だった。
この御教えがどういうことかと自分の生活の中で、そして仕事のなかで問いかけて行った。
今までは心配は先のことをどうなるのかと不安で悩むことであり、不都合なことだと思っていた。
しかし心配は神様が気付かせて下さったことと受け止めると、心配は有難い事だと思う様になった。気付かせて頂いた心配は、先の不安に対して事前対策せよとの事だと受け止め、実行することで悩みは消えていった。
先のことは神様にお任せして今自分が出来ることに集中することで心が落ち着き、そして仕事も上手く行っておかげを頂いている。今では心配があるが悩むことは減少し、おかげを頂いている。
【参加者の感想】
すごく勉強されていて、自分を猛省しました。
共励会では、いろいろなテーマを取り上げてわかりやすく教えてくださって、導いてくださってありがたく思ってます。
子供たちに信心をつなげていってもらいたい。
ためになる話を聞けてありがたいと思ってます。
まだまだ信心が足りず信心の稽古に励もうと思います。
心配できることはいいことであるという意味がわかりました。信心と心配の間が大切なことがわかりました。
心配は神様のお気づけだと思います。
信心してればおかげになるということは、信心してなければおかげはいただけないということである。
できることをした後は心配をおかげにしていただき、信心してみなよしにしていただく。
起きること、信心の課題と思って、前向きな姿勢でのぞんでいます。
神様にお願いしておかげを頂き助かっています。
子供や孫たちに信心を伝えていきたい。
以前より信心が成長していると感じています。
病気になってもいい方向に考えるようにするといい方に向かうのではないかと思います。
共励会で学んだことが沢山あり、神様にすべてお任せするという気持ちになっていて、感謝しています。
教会で話を聞くことは勉強になります。
今できることを一生懸命やって、神様に祈れば道をつけていただき、心配もなくなると思います。
今日お話してくださったことを素直に納得でき理解できたことを幸せに思います。
結果ではなく、ものの捉え方、受けとめ方が変わるのがありがたく、おかげと思います。
心配する気持ちは置いて、神様にお任せして信心させていただくと、苦境を乗り越えられ力を頂けていると思います。心配を信心に変えて、信じることが大切と思います。
【教会長先生から】
今日は朝から大勢集まってくださり、うれしく、力になりました。
話し方教室にも通われ、人の意見を聞き出すのもお上手で、共励会をよくしていただきました。
共励会は、人に伝えるという発表の稽古にもなるので、これからも続けていきたいと思います。