· 

神へのお礼

「教えてもらって信心しておかげを受けたら、人にも教えてあげなければ神へのお礼にならない。信心するものの役目がすまない」(天地は語る 384)

私のロールモデル (模範・手本・師範) は金光大神様です。金光教の教祖様。私利私欲を超越して、世界、人類の幸せを願い貢献した方。金光大神様の遺されたものは亡くなられて140年になる今もなお人々を救い続けてくださる。

時代や国境を越えて人々に大きな影響を及ぼしてくださる偉大な存在です。もちろん私なんぞ遠く及びません、ずっと憧れております。

 

今日は、私にとっての「巡り合わせの力、おはたらき」について話をさせて頂きたいと思います。

 

現在私は、40年勤務しておりました東京海上を4年前に卒業して、「公益財団法人 海外子女教育振興財団」というところで、世界で学ぶ日本の子ども達、日系人の子ども達28万人の学びを応援しています。受験や偏差値、成績のためでなく、世界の真の平和を実現できる、世界の課題解決に貢献できる人財を育てたい・・・との願いを持って日々働かせて頂いております。

私のことを「歌って踊れる保険マン」と思っていらっしゃる方も多いかと思いますが、学生時代は「先生になりたい」という願いを持っておりました。誤解なきように申し上げれば教会の先生ではございません。

高校と中学の教員免許を持っておりますが、不思議なご縁で東京海上に入社しました。そんな私が40数年のさまざまな巡り合わせ、お繰り合わせのおかげを頂き、巡りに巡ぐらせて頂き、現在の教育の仕事に就かせて頂いております。

 

まず、22歳の時に大きな巡り合いが訪れます。

家内のみづほとの出会い、そして翌年の大場正範先生、愛子先生との出会いです。それまで傲慢で「俺が、俺が」で生きてきた自分にとって、自分の主語が周りの人々や社会に置き換わりました。今までのように小さな自分の欲求に囚われていてはダメなんだと。

そんな次元では世の中に、役に立つことに通用しないと感じさせられました。

そして40歳を迎えて、悲しいながらも次の大きな巡り合わせが訪れます。尊敬する大場愛子先生、次いで、大場正範先生のお国替え、御霊の神様となられての巡り合い、人生・・人が生きるということを深く考えさせて頂きました。

そのことから自分と社会の両方が大事だと、矛盾なく自分の中で社会と同居出来るようになりました。しかも、それを外に発信できる。それまでは、自分ことを外に発信するのはダメだと思っていました。

自分のことなんかより、社会のため。自分の我欲など絶対に出してはいけないと。

でも、お道の教えである「教えてもらって信心しておかげを受けたら、人にも教えてあげなければ神へのお礼にならない。信心するものの役目がすまない」(天地は語る 384)との御教えに出会い、そうではないんだと気づきました。

自分も社会も両方が大事。布教ということなど、自分には、恐れ多くてとんでもないと思わずに、自分の出来る事の中でさせて頂くことで良いのだと。気がつけば、おかげを頂いた事を自分なりに仕事を通してお客様や会社の仲間に対して、その時の状況に合わせて言葉を変えて話し、発信するようになりました。

60歳になり、尽きることない幸せとお道の学びをもっと追求していきたいと思うようになりました。

ウエルビーイングという言葉が今では色々なところで聞かれます。意味は、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることです。そういう状態が人間にとって非常に大事なんだと。社会も、一人ひとりの人も、心身共に健康であることを目指そうではないかと。

 

すると3度目の大きな巡り合わせを頂きます。誠に不思議なご縁で、私は長年の夢が叶い巡り巡って、教育の仕事に就かせて頂くことと相なりました。職場は教会から歩いて10分のところにあります。

職場に行く前に教会に日参し、あけみ先生の教話を聴かせて頂くことができるようになりました。

「国家100年の計は人づくりにあり」との言葉があります。我が国の教育の課題は山のようにあります。なかでも世界320校ある海外の教育施設の問題は、正に320通り。気合いを入れないと正面から課題に向き合えません。

 

朝参りをさせて頂き、あけみ先生のご祈念に出来るだけ出させて頂き、「どうか少しでもお役に立つ働きにお使いください」と祈らせて頂いていると、ある日、ふとこんなことが頭に浮かんできました。

「戦前に北米布教を願い、渡米され、サンフランシスコ教会初代教会長であられた福田美亮先生、その奥様であられ二代サンフランシスコ教会長であられた真子先生、大場愛子先生の一番上のお姉様であられます。そのお二人に気が付けば、私の思いが寄せられていました。

 

太平洋戦争勃発と同時に在米日本人は、敵性外国人として強制収容所に収監されます。福田先生はじめ、時の日本人社会のリーダー格の人々とその家族は、クリスタル・シティ強制収容所に収容されます。人里離れた内陸部、砂漠地帯に設けられて、逃亡者を防ぐために有刺鉄線のフェンスで外部と完全に隔てられている上、米兵の銃口は常に収容所内部に向けられていました。

抑留されていた福田美亮先生と真子先生はどんな思いでキャンプの中で学校を開かれ、子供達に何を教え、伝えていらしたのだろうか?」と。その時のご苦労に比べれば今の私の苦労など「屁」にもならない。

すると福田先生、大場先生を心底尊敬しておられた芝教会元青年会の中心人物、亡くなられたサンディエゴの宮井克己さんから教えて頂いた話がどこからともなく頭に浮かんで来ました。

「おーめんちゃんよ!これは忘れねーでくれよ!どこかできっと役に立つからよー!」

 

ある時、強制収容所の中で大事件が起きます。今まで一緒にキャンプの中で学び、遊んで来た子供達に米国人として米軍に入り日本と戦うか?日本人としてこのまま抑留されているか?を決めさせられる時が来ます。子供達や家族間で言い争いや喧嘩が続きます。

「裏切り者」、「敵国民」!と罵声が飛び合います。なんということでしょうか?

そこで福田先生はキャンプの人々を集めて満身の力を込めてこう言われました。

「どちらも正しい。ただし、どちらを選んでもこれだけは忘れてはならぬ。私達の未来の子供達のために、彼らがアメリカの地で堂々と誇り高く生きていけるように、それぞれの選んだ道で頑張れ!そして、どちらも、日本人の心でアメリカを見てアメリカを堂々と語れ」と。

 

この時、私は、財団の仕事の夢を決めました。混沌とする世界情勢の中で、海外で学ぶ28万人の子供達の中から30年後までに必ず世界に貢献出来る、日本人、日系人初の国連事務総長を輩出しようと。「日本人の心で世界で活躍し、世界に貢献する」人財を輩出しようと。今では私の夢を財団、在外教育施設320校の夢にして頂きました。

みなさんですから、正直に申し上げます。教会に来て、御神前、御霊前に向き合っていく中で、私の背中を福田美亮先生、真子先生、大場正範先生、愛子先生が、そして宮井克己さんがグイグイと押してくださっていることを毎日感じています。

「めんちゃん!神様がさせてくださる。私たちがついているから心配無用。顔を上げて前に進みなさい」との声が教会参拝を通して、いつでも聴こえてきます。

すると私の力では何ともできないことが次々と成就します。昨年、世界で学ぶ日本の子ども達と日系人の子どもたちを対象とする法律「在外教育施設教育振興法」を衆参両院全員賛成をもって、初めて成立させる事ができました。戦後70年の悲願の法律でした。

先々週には我が国の政府開発援助戦略であるODA(Official Development Assistance)に日系人と在外教育施設を活用して世界に平和教育を通して貢献することが制定されました。これは、財団設立から52年の時を経ての夢でした。

自分の力など、「屁」の足しにもなりません。しかしながら、神様、御霊様の思い、願いを一身に受けて事が動き出します。大場先生の教話集「神と共に人と共に」にある「大きな石は川上に上る」、愛子先生の「一期一会」そのもので、人生は巡り合いによって織りなされるものなのだと改めて実感しています。

巡り合いをプラスにさせて頂くためには、「我が受け方」、「我が活かし方」に全てがかかっていると大場先生は教えてくださいました。

そのためにも可能な限り、教会に参拝させて頂き、あけみ先生のお取次のもと、神様、御霊様と向き合い信心を深めさせて頂きたいと思っております。

(6月25日半年感謝祭 綿引宏行)