“行”というのは、「安心の境地」つまりどんなことでも全て神様にお任せすることのできる、「助かりの境地」に至るためのものです。
前教会長・大場先生が、「“行”というのは、する行よりも、させられる行の方が多い」とよく言っておられました。先生が、芝教会の後継者として来られてから、次から次へいろいろな事が起きてきました。そしてその一つひとつを“行”として受けとめることによって、神様の思いに近づき、お任せする心になって行かれたのだと思います。教祖・金光大神様は、「人に不足を思わず、物事の不自由を“行”とし家業を務め、身分相応を過ごさないよう倹約をし、だれにも言わないで行えばこれが心行である」とご理解の中で心行の大切さを説いておられます。
水の行や火の行も大変なことですが、この日常の行(=心行)が一番難しいことかもしれません。でも、私達が、毎日の生活の中で、起きてくる事すべてを、神様より差し向けられた“行”として取り組んでゆけば、必ず神様の心に近づき、助かりの境地に、至ることができるのです。
今日から、今年下半期のスタートです。ここから新たな気持ちで、信心のけいこに励みましょう。