今日は、私が「おかげ」というものをどう捉えているか、感じているか、について、最近読んだ本を題材にお話しさせていただきたいと思います。
その本とは「科学者はなぜ神を信じるのか」という本です。
この本は、物理学者でありながら、カトリック教会の助祭として活動される学者の方の本で、「神を否定するような研究をしている人たちが、何故神を信じることができるのか」、という疑問について書かれた本です。
確かに、科学者とは自然現象に対して疑問をもち、それを説明しようとするものです。
それなのに神を信じていて、「全ては神さまのなされたことである」、と信じるのは思考停止で矛盾していないか、と感じる人もいるかもしれません。
しかし一方で、国連のある調査では、過去300年間に大きな業績をあげた科学者の8割以上が信仰を持っているそうです。
細かいところは省略しますが、著者はこう結論をまとめます。
自然の中には、確かに一定の科学法則があり、それであらゆるものは説明できつつあります。
だからといって、「神は存在しない」という結論にいたるのはそれこそ思考停止ではないか、と著者は言います。「自然現象を説明できる法則」それを創り上げたことこそが神様のみわざである、と信仰を持つ科学者は考えているそうです。
神様の創り上げた世界をよりもっと深く理解したい、神様の意思により近づきたい、という情熱こそが科学者を動かしている、というのです。
これだったら最初にあげた矛盾はしないですよね。
この考え方は素晴らしいですし、私たちの日々の信心の在り方にも通じるところがあるんじゃないかな、と感じました。
「天地は語る」に載っている、109番のみ教えにはこうあります。
「おかげを受けられるか受けられないかは、わが心にある。わが心さえ改めれば、いくらでもおかげは受けられる」
このみ教えも、先ほどの本に書かれていることと同じで、神様に向かう私たちの心のありようを説いていると思います。
「神様から何かしてもらえるから信じる」、「期待にそぐわないことがあったから信じない」、という自分本位な視野の狭い心で神様と向き合うのではなく、「神様が与えてくださった、自分がまだ気づけていないおかげをよりもっと深く理解したい」という、誠実な姿勢で信心をしていれば、より多くの感謝の心が全てのものに対して沸き起こり、より幸せに生きていけるのではないか、と思います。(8月13日 石井光一郎)