8月13日の共励会では、共励会が、今後、信心の継承ができる場所としてより活気あるものにするためには、どうしたらよいかについて、ご意見を出していただきました。
最初に信者さんが思う信心の継承についてお話をいただきました。
要約します。
「共励会の発表内容 神さまを信じぬく力 信心の継承」
ある日の朝、洗面所にある日めくりの言葉に驚いた。
「信心なければ世界は闇なり」と。
今の私にとって、この言葉はまさに芯を付いた言葉であった。
他にも、日々の日めくりの言葉一つ一つが心に響いてくる。
こんなことを思える私がいつ生まれていたのか?
これは一朝一夕で出来たものではない。ここまで生かせていただき、教会という環境に恵まれて、先生や信者さんから学ばせて頂いたこと、また自分が痛みを伴い経験してきた数々のことを通して、何事にも驚かぬ自分、絶対大丈夫!と思える自分ができつつあるのである。
その経験が自分の子どもや他の人へのアドバイスにも生きてくる。
それは、一日で築かれたものではなく、信心の稽古をさせてもらい少しずつ積み上げてきたものだと確信する。信心の貯金は大切な宝だと思う。
では、自分だけ助かっていればよいのか? いいえ、自分の子ども孫、知り合いの人にも助かって欲しい。 そこで、身近なところの子どもへの信心の継承という課題が出てくる。
自分がほれ込んだ宗教、み教えを子供に伝えていきたい、同じ人生を心豊かに
より幸せに生きて欲しい、と思うのは当然のことだ。
ところが、意外と熱心に信心されている方が、子どもに気兼ねして、上手く伝えていないケースを多々見ている。
信心の継承は簡単なようで大変難しい課題である。
自分が死んでから、残された子供や孫たちが幸せな人生を送って欲しい!と願うなら、今すぐに行動しないと叶わない。
子どもが無理なら、孫を小さい頃から教会に連れてきて、いざその子が困ったときに教会に行けば助かる!との思いを植え付けて欲しい。
子どもに何か相談された時、 特に子供の病気、また仕事の悩みなど、相談された時は、み教えを例にとって安心の境地になれるようアドバイスする。
子どもは神様に近いと言いまして、純粋なので、教会に行くと、楽しいと言います。チャンスです! 牛に引かれて善光寺 というように孫が教会に行こうと言ってくれるようになるんです。
信心の継承をしていきたいのであれば、まずは、自分の信仰に自信を持ち、み教えを熟読して体に叩き込み、毎日の生活の中でそれを生かし、その姿を見せていくことが大切な事だと思う。
皆さんのご意見です。
教会に来ると、前向きになれ、いいお話が聞けたと思えたり、楽しいと思えることがあるといいと思います。
共励会のテーマに、御教えを取り上げてもらいたい。
共励会は身構えてしまい参加しづらい印象があるので、もう少し参加しやすい場があるといいです。
信心継承については、自分が信心している姿を家族に見せ続けることが、信心継承につながることと思ってます。
人によっておかげの感じ方がちがうと思うので、共励会は、それぞれが思うおかげを共有できるよう、いただいたおかげを語り合える場にするのがよいと思います。
悩んでいることを打ち明けて、みんなでアドバイスできる場所があると、信心の継承に結びつくと思います。
自分の信心がぶれないことが重要で、ぶれない姿を見て、家族に信心が伝わるのではないかと思います。
若い人も月例祭の他にも集まる機会があると来やすいと思います。
教会は、老若男女、いろいろな方とお話ができるところなので、ふだんのコミュニティでは話せないことが話せるよさがあります。
月例祭の度に毎回カジュアルに話せる機会があるとよいと思います。
教会でお留守番をしていた時に「死にたいです」と言って入って来られた方がいましたが、金光様のお力を頂いて冷静に対応ができました。金光様の教えをいただいていれば、何があっても心を正して金光様と願っていれば、必ず道ができると思えました。
ご結界は自分の言葉で話し、頭が整理できます。教会に来ていると、きちんと話して、目上の方とも対応できるスキルが身につきます。
共励会では、御教えや、おかげについて話すだけではなく、仕事や学業のことなど、もっとなんでも話せる場になると参加しやすいと思います。
共励会という名称は、硬いイメージのため、名前を変えた方がいいと思います。
教会はいろいろな年代、職業の人たちと話せるよい場所です。一緒に作業ができる機会を作ると信頼関係も生まれてもっと話しやすくなると思います。
資源回収の昼食の後の反省会のように、同じ体験を通じて感じたことを話せる場は、信頼関係も生まれ、なんでも話せるようになるので、共励会でもそういう雰囲気で話せる場所になるとよいと思います。
同じ信心をしている者同士、いろいろな話をすることで新しいつながりが生まれると思います。
信心の継承を家族間で行われていないと、御霊祭などでも家族にお玉串をあげてもらえない事態となりますので、信心の継承は非常に大切なことです。