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信心をすれば一年一年ありがたくなってくる

天地は語る 121

「信心は、年をとるほど位がつくものである。信心をすれば一年一年ありがたくなってくる」

 

 この教えの前半部分は私には関係がないと思いますが、後半の「一年一年ありがたくなってくる」というところは、まさに今、実感しています。

 以前から、この教えは知ってはいましたが、ピンと来てなくて、どうして年をとったらありがたくなってくるんだろうと思っていました。仕事や子育てから解放されて、気楽になったらそんな気持ちにでもなるのかなという程度でした。でも実際、自分がこの歳になってくるといろんなことが見えてきます。

 私の次男夫婦には11月に次の子どもが生まれますが、長男はもうすぐ3歳になります。ほんとうにかわいい盛りです。前にも皆様に聞いて頂きましたが、回腸閉鎖症と言って腸の一部が切れた状態で生まれてきました。

 最初の子なので次男のお嫁さんの実家(茨城県)近くの産婦人科病院で出産することになっていました。出産直前に、「どうも、腸が切れているようだ」と言われ、その病院のお医者さんからは「ここで出産して、手術となればすぐに筑波大学病院に搬送してもよいし、最初から筑波大学病院にお願いして、そちらで出産してもいいよ」と言われました。彼女は生まれた後のことを考え、筑波大学病院で出産することにしました。

 私も、腸が切れているようだと聞いたとき、一瞬不安になりましたが、筑波大学病院を紹介して下さると分かった時「これは、絶対にこの子は大丈夫!」と思いました。それは、出産前にそのことが分かったこと、そして小児外科専門の医師や看護師さん、設備の整った大学病院で出産し、すぐに次の対応が出来る手配が整ったことで、これは間違いなく生まれてくる子は助かると確信しました。

そして、生まれたその日に腸をつなぐ手術をしていただきました。3キログラムほどの赤ちゃんの手術をするわけで、次男夫婦はどれほど不安だったかと思います。コロナが一番盛んだった頃で、両親も赤ちゃんに会えるのは一日30分ほどです。写真を送ってもらって、それを見ながら神様にお礼を申しました。鼻から管を入れた孫の写真が今も私のそばに飾ってあります。これは、おかげを頂いたことを忘れないようにという気持ちでそうしています。

  その孫が、つい先日も大きなおかげを頂きました。9月末のことです。夜、急にお腹が痛いと言い出し、母親と家内で相模原の北里大学病院に連れて行きました。生まれてすぐに手術をしたものですから、筑波大学病院から紹介状をもらって北里大学病院で定期的に経過を診てもらっています。そんな関係で、北里に運び込みました。

 腸閉塞になっており、手術になるかもしれないということでした。ちょうどご本部参拝の2日前で、家内は、「これはお参りできないかな」と思ったようですが、後から駆け付けた息子が「お母さん、ご本部にお参りしておいでよ」と言ってくれました。団体参拝を申し込む時点で、土曜も仕事がある息子にお休みを取って出産間近かのお嫁さんと留守番してくれるようお願いしていました。もうすぐ出産のお嫁さんはつわりがひどいため、春頃から親子でわが家に来ています。

 息子が言ってくれた「お母さん、ご本部にお参りしておいでよ」との言葉にありがたいなと思いました。手術することになるだろうと言われていた孫の容態もご本部参拝から帰った頃から徐々に良くなりました。便が出るようになり、食事も少しずつ少しずつ食べることができるようになり、個室から大部屋に移り2週間で退院しました。

 

  話が最初に戻りますが、生まれてすぐに無事手術ができた、今度は手術せずに良くなって退院できた、もちろんそういったことはとてもありがたいことですが、それだけではないんですね。生まれた時に腸が切れていたことは事実ですが、いろんな計らい、これは神様の計らいとしか思えませんが、後々の事、順調に運んでくださっているなと感じることができました。このことを通して、生まれてくる子どもの命の大切さや助かったことのありがたさを分からせようという、神様の意思が感じられるのです。

 また、この度の事でも、手術になるかどうか分からない時点で、息子が「お母さんお参りしておいでよ」と言ってくれたこと。完全介護の病院で出産直前の母親が付きっきりでなくてもよいということ。そういったすべての計らいが神様のお働きとありがたくて仕方ないのです。

  そういうありがたさが分かるようになってきたというのが、このみ教えなのかなと思っています。

                                                   (藤原眞久)