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信じること、祈ること

信じること、祈ること

 

今日は、「信じること」と「祈ること」についてみ教えを中心にお話をさせて頂きます。

 

まず、「信じる」ということはどういうことでしょうか。

 

私達は、毎日膨大な情報に接して生きています。毎朝読む新聞、テレビから流れる天気予報、交通情報、多様なMediaから得た情報を利用して生活しています。私達は、それら情報を生活の中に自然と取り入れて利用しています。

 

また、私達は一人では生きていけません。農家の方たちが作った食物を頂き、大勢の方が管理運営している交通機関に頼って生きています。

 

また、仕事の上、プライベートで人と付き合う必要がでてきます。相手との会話を通して、瞬時に相手の信頼性・妥当性を認め、必要に応じて相手と関わりを持ち、仕事・生活をしていく。

人と関わりを持つ前に、いちいち興信所に依頼して人物調査をしたりしませんよね(もちろん、特別な場合を除きますが)。

 

このように私達は、複雑な社会のなかで「信じる」という行為を自然に行いながら生活をしているのです。

 

私達は、金光教と出会いました。この宗教を信じていいのか。みなさん、初めて金光教と接した時、このような疑問が生じたのではないかと思います。この疑問を解明するために、みなさん何をされたでしょうか。教会に参拝して先生のお話を聞く、教典を読む。

 

宗教と出会った場合、おいそれと信じる分けにはいかない、それが人ごころだと思いますが、では、教祖様はどうおっしゃっているのでしょうか。(数字は「天地は語る」のみ教えの番号です)

 

天地金乃神のご神体は天地である。

 

12 神は声もなく、形も見えない。疑えば限りがない。恐れよ。疑いを去れ。

 

天地がご神体というのはたいへん分かりやすいですね。教祖様は、神様の存在を疑うな、存在を肯定しろとおっしゃっています。これが金光教信仰の第一歩だと思います。

 

では具体的にどう祈ればいいのか、教祖様のことばを探ってみたいと思います。

 

教祖様が面白い表現で説いています。

 

225 一心に信心すれば、おかげが受けられる。

たとえて言えば、女の人でも、いよいよ一心を打ちこむ男は一人しかない。この人と思ったら、心の底から一心を出して、身も心も打ちこんでしまうのでなければ、まことの恋ではない。他の男を見下げるのでも 嫌うのでもないけれど、身も心も打ちこんでいきたいのはこの人であるというのでなければならない。

人にも、この人が親切であるとか、あの人が頼みがいがあるということがあろう。何事を頼むにも、一人に任すと、その人が自分のおよぶ限りの力を尽()くして世話をしてくれる。二人、三人と頼むと、相談に暮()れて物事がはかどらない。信心もこの一心を出すと、すぐにおかげがいただける。

 

これはたいへん分かりやすいみ教えですね。

 

また、教祖様は、一心とはどういう姿勢か、次のように説かれています。

 

221 一心とは、一つの心と書く。二心(ふたごころ)のうろたえ心を出さないで、天地金乃神に一筋に取りすがるのが一心である。十分なおかげを受けるには、一心でなければならない。

 

神様の存在を肯定し、信じること、そして一心に祈ること、これがおかげへの道筋ということだと思います。最後にもう一つ、極め付きのみ教えをご披露します。

 

82 世の中で疑いが一番悪い。神に任せて、一心に信心をせよ。任せたうえは、神がよいようにしてやる。疑いを放すという心一つで、おかげをいただくのである。

 

今日のお話はこれで終わります。ありがとうございました。(石井延雄)