「人間は生き通しが大切である。生き通しとは死んでから後、人が拝んでくれるようになることである」(近藤ツルの伝え)
本日は3月1日に没後30年を迎えます愛子姫の話をさせて頂きます。
まずは、金光教の教師としての信心の姿、そして大場愛子の人間としての魅力、母としての姿を話させて頂きます。
愛子姫の信心を一言で言い表すのなら、神様に対する絶対信の信心を貫かれた方です。そして、何よりも包容力があり、出会った人すべてが忘れられない存在となる温かい慈愛に満ち溢れた方でした。
また、ただ優しいだけではなく、ときには信心に裏打ちされた厳しいお言葉を投げ掛ける方でもありました。
あるエピソードを二つ紹介します。
Aさんは、なかなかお参りに行けないと言うと、よく愛子先生に𠮟られたそうです。「お願い事には、『絶対におかげを頂けるから、しっかりお参りをしなさい』と強く言い切って下さいました。そして自分は数知れないほどのおかげを頂いてきました」と語っておられます。
また、Bさんは、ある時、声を失うという難儀に出会いました。その時、奥様から教えて頂いた事は、「『祈ること。先の事は心配しないで、何事も時節を待つこと。どんなことでもあなたは乗り越えられる、起る事はみんな貴女の身になります。さあ!笑って。ほら、幸せになったでしょう!』と、ほとばしるような情熱で祈ってくださいました。わたしは今とても幸せです」と。
このように、皆さんが折れた心で教会にくると、両手を広げて太陽のように温かく包み抱きしめ、心を解きほぐしてくれる存在でした。そしてある時は厳しく愛をもって適切なアドバイスをして下さいました。
次に母としての大場愛子像をお話します。
性格はとびぬけて明るくユーモアがあり、周りを楽しくしてくれる人でした。
そしておしゃれで、わたしの小学校時代の参観日にはおしゃれな帽子とレースの手袋をしてきたほどです。私達子どもにも出来る限りの素敵なファッションで可愛く演出してくれました。まだ修行時代でそんなに生活も豊かでない時代、工夫して自分で縫ったりしてくれました。ですから私達娘は、貧しい中でも心豊かに成長させてもらったのです。
お料理も得意で、地方から出てきている青年たちにカレーなど美味しいものを振る舞っていました。きりきりの生活のなかで。
その当時食べさせてもらった恩返しとして、アメリカのカルフォルニア大学医学部の教授になられた宮井克己さんという方は後年、金光大神の英訳をして下さったのです。
人を育てるのが上手だったと思います。
「一期一会」という言葉が座右の銘で、「その時、その時を精一杯生きなさい!」とことあるごとに言っていました。
また、母は、人の良いところを見つけて大いに褒めることが得意でした。私の夫は母が亡くなったとき、「もう自分を褒めてくれる人はいない」と大声で泣いて悲しみました。
私はそれを引き継ぎ、子どもたちの良いところを褒めて伸ばす教育を心がけました。最近自分の娘から、「自分は両親から自己肯定感を育ててもらったから、どんな困難にも立ち向かうことができる」と感謝の言葉をもらいました。これは正に私自身が親から沢山の愛情と自己肯定感を育ててもらったものだと心から感謝しています。
夫は未信奉者でしたが、毎晩食事の時に母が信心の話を堅苦しくなくしてくれて、それが毛穴からしみいるように入っていったと申しています。
ここで私の子ども時代のエピソードをお話します。私は幼い頃NHKの児童合唱団に通っていました。その日は日曜日の練習日で、折しも小雪の舞う寒い日でした。私はふとんをかぶり、「練習にいくのいやだー!一人で歌わされるのが上手く出来ないからいやだ」と駄々をこねたんです。その時母は、「今日勇気を出して練習に行ったらきっといいことがあるよ。きっとうまく歌えるから!」と。なんと霧吹きでわたしの顔に水を吹きかけたのです。私はしぶしぶ練習に行きました。すると奇跡が起こり、その日はとてもうまく歌うことが出来たのです。
ルンルン気分で帰宅して母にそのことを告げると、「ほらね、行ってよかったね!」と喜んでくれました。大人になってその時のことを話すと、ただ励ましただけでなく、私が行った後、ご神前で必死に祈ってくれたことを知り、感激して泣きました。母の強い祈りが奇跡を起こしたのだと確信しました。
教祖は「人間は生き通しが大切である。生き通しとは死んでから後、人が拝んでくれるようになることである」とおっしゃっています。愛子姫は67年と言う短い生涯でしたが、まさに生き通され、今も御霊となって導き、守って下さっています。
「愛」という字の意味を国語辞典で調べると、「かけがいのないものとして、その対象を大切に愛しむ気持ち」とあります。
愛子姫は愛というその名の通り私達子どもや信奉者をかけがいのないものとして大切に愛しんで下さり、育てて下さったのです。そのバックには金光大神という大きなバックボーンがあり、そこに裏打ちされた大きな愛であったと確信します。
どこまでも神様を信じぬく愛子先生の絶対信の信心を私達もしっかり守り、実行していきましょう!(石井さゆり)