桜前線もようやく開花宣言となり、お仕事、学校、すべてのスタートの月、希望にみちた時とも言えましょう。
「冬来たりなば春遠からじ」という言葉があります。先代、大場正範先生は、「冬の寒さ暗さの中に身を置きつつも、やがて来る春を待ち望み、めげることなく希望の灯を点じつつ、厳しさに堪えていく~その様な心を端的に表したもので私の好きな言葉の一つです」と言っておられます。
教祖金光大神様は幾多の容易ならぬ困難にめぐり会われました。その都度、めげそうになったりお先真っ暗な気持になられたことでしょう。しかし、「神様に願い縋っていれば、必ず道をつけて下さる」との絶対信によって、八方ふさがりと思える窮地に立たされても、不思議と道が拓かれ、難儀が一転し目を見張るようなおかげとなるという体験をされています。
「悪いことを言うて待つなよ。先を楽しめ」「人間であるから生きている間は先々のことも考えもしようし、心配の尽きることはあるまいが、それがみなおかげになれば、心配はあるまい。心配は信心すればみなおかげになる。心配は体に毒、神に無礼である。心配する心を神に預けて、信心する心になれよ。おかげになる」等のみ教えは、教祖様が信心を進め自分自身にしっかりと神をいただき、いつでもどこでもどんな場合にも神と共に歩むという信境に至られた生活体験から生まれ出たものなのです。「先を楽しめ」とのお言葉は短い平易な言葉ですが、「神必ず守り支え導き給う」との確固たる信念に裏打ちされたものです。過去にとらわれず今月今日を喜び感謝し、どんな中にも信心に根ざした希望を持って前進していきましょう!