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教祖金光大神様と神様との出会い

本日は、教祖様と神様が初めて出会った時のことについて触れ、あらためて信心の基本姿勢を頂いてみたいと思います。

 

また、立教160年のお年2019年に金光様の直筆の日常の記録を整理した「金光大神事蹟に関する研究資料」が発行されました。そのなかに、神様の命により金光様が書きしるした「申し渡しの覚え」というものがありますので、ご紹介したいと思います。

 

金光様は、1814929日、備中国占見村(びっちゅうのくに うらみむら/現在の岡山県浅口市金光町)の農家、香取十平(かんどりじゅうへい)、しもの2男として生まれました。

1825年、12歳になった金光さまは、隣村の大谷村(おおたにむら)に住む川手粂治郎(かわてくめじろう)、いわの養子となりました。名前を源七(げんしち)から文治郎(ぶんじろう)と改め、周りからは文治(ぶんじ)と呼ばれるようになりました。

養子入りの際、養父母から「好きなことは何か」とたずねられると、「神仏に参ることが好きなので、休日にはこころよう参らせてください」と答えました。

13歳になった金光さまは、養父のはからいによって、村の庄屋の小野光右衛門(おのみつえもん)から手習いを受けることになりました。2年という短い期間ではありましたが、読み書きそろばんをはじめ、倫理や道徳についても学びました。教祖さまのことを考えると、如何にいい先生に出会ったかということが言えると思います。

 

金光さまは、183623才の時に結婚されました。

 

1849年の暮れ、金光さまは日柄方角を見てもらい、家を建てることにしました。金光さまは、当時たたりの神と呼ばれていた金神に無礼のないよう細心の注意を払って工事にのぞみました。そのころ、岡山地方は日柄方角、金神信仰が根強くありました。

その途中で2男が9歳で亡くなり、その後も、農家にとって大切な飼い牛が2頭死にました。この15年あまりの間に、養父、義弟をはじめ、築いた墓は7つ。家が繁栄していく一方で、おそろしい金神ののろい(「金神七殺(こんじんしちせつ)」)を思わせる不幸に見舞われました。

 

1855年、金光さまは男性の大厄(たいやく)とされる42歳を迎えました。この年の正月早々、金光さまは1年の幸せを祈り、近くの神社に参拝して42歳の厄晴れを祈念しました。そして足をのばして遠方の神社も参拝しました。

 

1855425日、金光さまは「のどけ」と呼ばれる喉の病気にかかり、生死の境をさまよいました。親類たちが集まり、病気回復の祈祷(きとう)を行うと、義弟の古川治郎(ふるかわじろう)に神がかりがあり、37歳のときに行った家の建築について「金神に無礼があった」という指摘がなされました。そして、ひたすらおわびをする金光さまに神様から、「その方の信心に免じて神が助けてやる」と告げられたのです。

この出来事で金光さまは、はじめて神様に出会うとともに神様のおかげを受け、日柄方角にゆさぶられてきた人生を大きく変えることになりました。

 

翌年の正月、弟の口を通して、「神の言うとおりにしてくれ、その上に神と用いてくれ、神もよろこぶ。これからは何事も神を一心に頼め」と告げられたのです。

 

1858年に入ると、金光さまは自宅の神前で、朝晩、一心に祈念をするようになりました。すると、その年3月には手の動きにより、ついで、7月には自分の口を通して、神様からの「お知らせ」を受けるようになりました。

 

18591115日、神様は「家業である農業をやめて、世間で難儀をしている数多くの人たちを、取次ぎ助けてやってくれ」という願いが告げられました。
 金光さまはつつしんでこれを受け、自宅を神様の広前として、人を助け導く御用に専念するようになりました。これが
立教神伝です。この日が金光教の立教の日となっています。

 

42才の大病の時に、はじめて神様と会話し、「その方の信心に免じて神が助けてやる」と告げられ全快しました。18581月には「神の言うとおりにしてくれ、その上に神と用いてくれ、神もよろこぶ。これからは何事も神を一心に頼め」と神様の命があります。それからは、神様から都度「お知らせ」を頂くようになります。そして立教神伝につながるのです。

 

金光様のみ教えに:

「金光大神のことを生神(いきがみ)と言うが、金光大神ばかりではない。この広前に参っている人々がみな、神の子である。生神とは、ここに神が生まれるということで、金光大神がおかげの受けはじめである。みなもそのとおりにおかげが受けられる。」

 

「人は金光大神のことを生神(いきがみ)と言うが、金光大神も、あなた方と同じ生身(なまみ)の人間である。信心しておかげを受けているまでのことである。あなたも、神の仰せどおり真(まこと)一心に信心しておかげを受け、人を助けて神にならせてもらうがよい。」

 

金光様は「金光大神がおかげの受けはじめである。みなもそのとおりにおかげが受けられる」と説かれています。これが金光教における信仰の基本姿勢だろうと思います。このことを改めて頂いて、より一層信心を深めてまいりたいと思います。

 

次に、冒頭に申し上げた「申し渡しの覚え」をここで披露したいと思います。

ありがとうございました。(石井延雄)