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かわいいと思う心が神心じゃ

金光教祖ご理解74 「かわいいと思う心が神心じゃ」

 皆さんもよく聞かれたみ教えだと思います。岡山弁でかわいいというのは、かわいそうという意味です。街で可愛い年頃の女性を見て、男性が「あ、可愛いな!」と思うのは神心ではないんですね。

このみ教えは短いので、そのもとになっていると思われるのが尋求教語録168にある次のご理解です。 

 

寒い日であったが、お参りをしておると気の毒なおじいさんに遭うたので、あまりのことに着ていた物を脱いであげた。それからお参りすると、金光様が、

「才崎金光(片岡次郎四郎)、今日は結構なおかげを受けたなあ。不幸せな者を見て、真にかわいいの心から、わが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心じゃ。その神心におかげがいただけるのぞ。それが信心ぞ」

とおっしゃったが、そのおかげを受けた者は、ありがたいことを知っておるはずじゃから、神様の心になって不幸せな者を助けてやらねばならぬ。

 

 今年のお正月に起こった能登半島地震の被災者支援の取組みを微力ですが、教内の仲間で作る一般社団法人ひかりプロジェクトと金光教首都圏災害ボランティア支援機構が一緒になって活動していることは以前お話させて頂きました。

 現地では、全国各地から来られた老若男女のボランティアの方々と一緒に作業します。

いろんな方と休憩時間等に話をするのですが、6月の末に行った時です。私たちに班に、一人のおじいさんが遅れて入ってきました。見るからにお年です。後で聞くと、今年80歳になった方です。滋賀県の甲賀から軽自動車を運転して一人でやってきて、昨夜遅く着いて、車の中で寝たそうです。それでちょっと遅刻したと言ってました。

 同じ班に5,6人いたのですが、皆心配して、「おじいさん大丈夫ですか、無理しないでね」と。

片付けに行く途中の車の中で、そのおじいさんが色々話をしてくれました。

「正月に地震が起こって、自分でも何か役に立つことができるんじゃないかと思ったけど、どうしたら現地へ行って手伝いできるか分からなかった。そのうち、ボランティア募集のことをテレビで見て、応募しようとしたけど、そのやり方が分からない。自分でもスマホでやってみたけどうまくいかん。娘に頼んでやっと今日来ることができたんです」という話でした。「もう、今日来れて、うれしゅうて、うれしゅうて。もう思い残すことはないわ」と言われます。

 聞いていて、思わず眼がしらが熱くなりました。他の方々も一緒です。

 6月の末と言っても真夏のような気温で、「無理したらあかんよ」と周囲が気を使っていましたが、おじいさん平気で「大丈夫、大丈夫」と言いながらやっていました。

 一日の作業が終わって「これから、滋賀に帰りますわ」「気をつけてね」と言って別れました。

この方だけでなく、普通の人が、ちょっとでも自分にできることをと思ってボランティアに来ているんですね。何人もそういった方々と出会い、話を聞くと、人間が持って生まれた神心と言うか、人は皆生まれながらにそういった心を持っているんだと実感した次第です。

 

大きな自然災害が起こった場所だから、そういう心持ちになるということではないと思います。教会に来る途中の電車の中、買い物の行き帰り、ご近所など、自分の身の回りに困っている方はいっぱいいます。ぜひそういう方々に対して「かわいそう」という神心をもって接していきたいと願っています。(藤原眞久)