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ご本部参拝の意義について

 先日1056日とご本部参拝に行って参りました。お天気にも恵まれ、心より楽しく有難い参拝をすることが出来ました。

 毎年秋に団体参拝を行なっていますが、今年は19名と、年々少なくなっている現状です。 さて、果たしてこの参拝はどんな意義があるのでしょうか?

 金光まで行くということは結構お金もかかります。そして、まず健康のおかげを頂いていないと行くことはできません。

 今まで参拝された方がたの思いを聞くと、

 -御霊地でなければ味わえない有り難さを痛感

 -金光様と間近でお会いできるチャンス

 -信者さんと車中で語り合える親密さ

と、様々ですが、今年は特にその有り難さを感じることが出来ました。

 私は、神戸の水木教会の叔父が90歳で亡くなり、葬儀に行けなかったので、行きの新幹線を途中下車して新神戸で降りて、あけみ先生と姉妹で水木教会にお参りして、高齢の叔母とも対面する事が出来ました。

 その間、直に金光に向かったメンバーは、大祭前のあまり人のいない静かなお広前と境内の中に身を置いてとても清々しい思いだった、と伺いました。

 その日は倉敷のホテルに泊まりましたが、夜、料理屋での懇親会に、昔青年会にいたKさんご夫妻が参加してくれ、共に楽しい時間を過ごすことができました。彼が挨拶で 「こんなに楽しい宴会は芝教会ならではのものです。学生時代お世話になった芝教会の皆様とこうしてお酒を酌み交わし、お話ができて本当に幸せでした」と感謝の言葉を述べられました。

 私も若かりし頃、青年会のメンバーとして活動した弟分の彼が、奥様とまた岡山の地で信心を続けておられる事を知り、とても幸せでした。これは人との出会いです。

 次に、不思議なおかげについてお話しします。

 翌朝、朝食の席で員夫先生が 「実は今朝、胸に帯状疱疹のような痛みを感じ、まずい、医者にいくことは不可能だと、胸に手を当てて、金光様!とお唱えすると、不思議なことに痛みがスーッと消えたんだ」 とお話しされました。  

 また、帰りの金光駅での出来事です。

 Yさんが、なんと帰りの新幹線のチケットを全て失くしてしまったのです!もう電車が来る時刻は迫っています。みんなで協力してその方の荷物を全部出して探しました。しかし、全く見つかりません。ご本人は必死で元いた場所に走って引き返しました。その間、なんとK君が、駅から少し離れた橋のたもとに行き、落としたチケットを見つけてくれたのです。一同大喜び! Yさんが戻り、チケットを見て飛び上がって喜び、K君に抱きついてお礼を言い続けていました。

 チケット代金のこともありますが、やはり、気持ちよく帰りたいものです。チケットが見つかりハッピーハッピーで周りの皆も幸せ気分で東京に帰ることができました。

 これを、ただ「ラッキー」と感じる人と、「やはり、御霊地に来たから不思議なおかげをいただけた」と思える人。私は後者の方が幸せな人生を送れる人だと思います。

 二代金光様のお言葉にこんな教えがあります。

  「八寸のものを一尺にも喜ぶ者には足りぬだけ神が足してやる」と。

 

 ぜひ、今から健康のおかげを願い、交通費も積み立てて、来年こそ一人でも多く御霊地に参拝出来ますことを心より祈っております。(石井さゆり)